2018-08-25

・ありがとうございました。




24(金)のペルセパッサ・オイリュトミー団アトリエ公演Vol.6

厳しい残暑の中をご来場いただきありがとうございました。

いつもみなさまに支えられていることを心より感謝いたします。



ご意見、ご感想がおありでしたらブログ右下の問い合わせフォームよりお寄せ頂ければ幸いです。



これからも精進してまいります。



ペルセパッサ一同





























2018-08-16

・オイリュトミーの現在 Vol.6




ペルセパッサ・オイリュトミー団
アトリエ公演
「オイリュトミーの現在Vol.6」
開催!






2018年 8月 24日(金)
16:00  19:30 2回公演
KFまちかどホール
入場料2,500円(高校生以下2,000円)


予約受付中!


persejapan@gmail.com
080-5877-6887



ブログ右の連絡フォームをお使いいただけます。
・お名前
・メールアドレス
・メッセージ欄に、16:00 or 19:30、枚数
を記入し送信してくださいませ。

折り返しご予約完了メールをお送りいたします。


各回定員30名となります。
定員になり次第締め切りとさせていただきますので、早めのご予約をおすすめいたします。
未就学児の入場はご遠慮くださいませ。


メンバー一同心よりお待ちしております。






2018-08-10

・ペルセ通信 その3 笠井禮示




「思考力を通して生命は知覚できるのか?」  笠井禮示



難しそうな題名になりましたが、タイトルに反比例して中身は難しくないので一読していただけたら幸いです。

生命は見ることも触ることも出来ません。しかし自分の呼吸や、心拍、熱、ありとあらゆる身体感覚に注意深く意識を向けると、自分が生きているという実感と、生命力に包まれているという予感を持つことが出来ます。
自分が生きているという実感とは、自分を「確かな存在」として感じることですから、今度は自分の周りに生命的な予感と存在に出会いたいという要求が自然と生じます。
逆にもし自分が生きているという実感や、生命力に包まれているという予感を持てなかったら、自分の存在は「不確かなもの」としか思えず、周囲の生命的な予感や存在にも盲目的になってしまうかもしれません。
ウチには二匹の猫がいますが、彼らは年がら年中、お互いにジャレ合ったり、ペロペロと舐め合ったりしています。その様子を見ていると、猫のように生命ある存在は、確かに自分の周囲に生命的なものを求め、その存在と共存していきたいという欲求が本能的に備わっているのだなと感じます。


「人間は一人では生きていけない」という言葉をよく聞きます。
誰の助けも借りず、たった一人の力で生きているように思えるゴルゴ13も、彼に仕事を依頼する依頼人がいなければ、食っていけません。つまりゴルゴ13と言えども、他者という生命存在があるから生きていけるのです。彼は他人の生命を奪うのが仕事なので、なんとも矛盾した話ですが。
たった一人で無人島に流れ着いたロビンソン・クルーソーも、周囲に人間はいませんでしたが、生命溢れた豊かな自然界があり、その恵みを受けて生き延びることが出来ました。
生命あるものが生命を求めるのは、生命のもつ特徴です。






シュタイナーは、人間が自分の内にも、周囲にも、生命的な存在や活動を求め、知覚しようとする力は、思考の持つ大切な力だと述べています。
そのような思考の捉え方は、一見、ピンと来ないかもしれません。「思考型」と言った場合、どこか「冷徹」、「沈着」というようなイメージがあり、生命的な躍動感からは遠いと思ってしまうからです。
しかしシュタイナーは「思考とは単に理解して環境に適応する力ではない」とした上で、幼児期における人間の思考力が、思考力として意識上には現れず、その力を肉体の形成に作用させている、と述べています。肉体の形成がある程度完成すると、人間は、今度はその同じ力を思考する力として意識するようになります。ですから思考力は最初に、「生命の形成力」として人間に備わって現れるのです。そして思考そのものは、生命的な力にあふれています。幼児期においては、その力が肉体の形成に作用します。
では肉体が完成した成人においては、「思考における生命の形成力」は知覚出来るのでしょうしょうか?
例えば、私が「星」について思考を巡らせたとします。この時、星は「思考内容」であって、思考力そのものではありません。しかし星という思考内容を取り巻いて、考える力は思考力と呼べるでしょう。そして、その「作用全体」を引き起こしている力は、生命力なのかもしれません。こうして考えると、思考力と生命力は結びついた力であるような予感が持てます。
もし私たちが「思考内容」を持たずに、思考力そのものを捉えることが出来たら、直接に「生命の形成力」を知覚出来るかもしれません。

例えばオイリュトミーにおいて、音や和音やフォルムを記憶している過程では、頭をフル回転させて、必死に入ってきたものを繋ぎ止めようとしています。この時、「記憶する対象」は頭の中を「出たり入ったり」します。私たちはそれを必死に繋ぎ止めようとしています。この段階では対象は、まだ「完全な思考内容」にはなりきれず、いわば「未来の思考内容」です。なぜなら対象が「出入り」を繰り返している間は、まだそれが自分の中にしっかりと定着しておらず、冷静な思考内容として建設的な思考作業に取り込めないからです。
むしろこの段階の私たちは、思考しているよりも、頭の中に入ってきた対象を必死に繋ぎ止めようと苦労しています。そしてやがて「無我無心」の状態になります。
そこでは時間の流れや、巷の騒音など一切の外界を遮断し、自分の内的な能力の全てを総動員して、「記憶する対象にのみ」向かい合っている状態になります。
この瞬間の身体感覚に細心の注意を向けてみると、「思考における生命の形成力」に直接触れていると同時に、「未だ思考内容に染まっていない純粋な思考力の姿」と出会っていると予感出来ます。
このように「記憶しようとする行為」は思考内容と結びついた思考とは別の、「生命の形成力」に満ちた思考の姿を見せてくれます。この力は、かつては肉体の形成を担っていましたが、今度は「記憶する対象」から「思考内容を形成する力」として、人間の内で作用します。「記憶すること」とは「思考内容を形成する」ことなのです。
シュタイナーは「記憶する行為は生命力を活性化する」と述べましたが、逆に私たちが記憶することを放棄した瞬間から、年齢に関係なく「人間の老化」が始まるとも言います。
ですから一回でも多く、この体験を繰り返していくことが、自分自身を新鮮に保つ最高の方法です。これを繰り返すと「記憶しようとする」ことが、苦労ではなく、生命力に直結した行為であることが、かなり明確な身体感覚を伴って自覚するようになります。記憶出来るかは問題ではありません、記憶しようとする意識が大切です。ただしオイリュトミーを目指す場合は記憶しないと困ります。なぜならオイリュトミーは次の段階から始まりますから。
オイリュトミーでは以上の段階を経て、「思考内容にまで高めた対象」をさまざまなものと結びつけて動きます。意志・感情・思考の人間の三分節と結びつけて動いたり、発声力や呼吸と結びつけたり、作品製作で言えば、「磨きをかける作業」ということです。これは「思考内容」を更に次の段階に引き上げる作業です。






ギタリスト・コンポーザーのスティーヴ・ヴァイの次の言葉は、ある対象を血肉化するまでのプロセスを非常に興味深く語っています。

「曲を覚える時は、さまざまなプロセスを経験します。まずは技術的な部分です。弾くべき内容を記憶しなければなりません。覚えようとする作業を何度も繰り返し続けます。すると、その対象を認識するようになります。そのまま暫く経つと、次は弾き方なんて考えなくてもいい状態に入ります。最初は技術的なものを意識しなければならなかったのに、考えるということが邪魔になるという訳です。
自分が弾いているものを認識するというのは、物事を考えている状態とは全く違います。「考える事」は「認識する事」の妨げになるのです。「考えるべき」ではなく「認識すべき」です。弾いているものを認識するようになると、プレイの本質にどんどん近付きます。そうすると、感情を投入する事が出来るようになります」
(2013年来日時)

この言葉は、「記憶した対象/思考内容」の次なる段階は、それを「認識の対象」にまで上げることだと述べています。さらに表現行為における「感情移入」は、かなりのプロセスを経たのちに取り掛かかれる行為であることが分かります。

シュタイナーは全く同じことを述べています:
「Erst denken. Dann Wahrnehmen(まず思考する。そして認識する。)」
「オイリュトミーは覚えたところから始まる身体運動」ですが、このシュタイナーの言葉は、
前半「Erst denken/まず思考する」は「オイリュトミー以前」、
後半「Dann Wahrnehmen/そして認識する」は「オイリュトミーの始まり」
と言えるかもしれません。

では認識することがオイリュトミーの始まりとはなんでしょう?
私たちは「思考における生命の形成力」を通して「記憶する対象」から「思考内容」を形成します。しかし思考内容が思考内容に留まっている限り、それはオイリュトミーを動く力にはなりません。ある一定期間、「思考内容」に対して思考を深めたのち、それを再び「生命力」と結びつける必要があります。
「思考内容の生命化」は思考内容を思考の領域だけではなく、人間の身体のあらゆる能力、とりわけ「発声力と呼吸」、「聴覚」と結びつけることによって生命化します。「思考内容」はこの時、氷が溶けるように徐々に溶解して、全身にくまなく行き渡り、「生命化した身体感覚」として姿を変えます。その新たな身体感覚を知覚することこそ、オイリュトミーにおける認識行為と呼べそうです。







2018-07-22

☆ありがとうございました!



20(金)のペルセパッサ・オイリュトミー団アトリエ公演Vol.5
倒れそうな暑さの中をご来場いただきありがとうございました。
あたたかいまなざしの中、無事に幕を閉じられたことを心より感謝いたします。

ご感想、ご意見がおありでしたらブログ右下の問い合わせフォームよりお寄せ頂ければ幸いです。

これからも精進してまいります。

ペルセパッサ一同

























2018-07-13

・ペルセ通信 その2 原仁美




「ひこ星群舞」   原仁美 



 笹の葉に短冊を掛けて星に願う。
織り姫とひこ星が出会えたから願いも叶う。子供のとき、そんな気分にほんのり包まれて夜空を見上げる。

 夏休みに祖父母の家に行くと、お仏壇にお盆のお供えがしてあり、ほおずきが挿してある。毎朝、小さな器にご飯とお水をよそい仏様にあげる。お盆祭りの夜、大人たちは酒をのみ子供たちはその上機嫌のおこぼれに授かる。

 茅葺きの屋根に草が生えている。蝉のごった返したような音の反射の中に川のせせらぎが聞こえている。川遊びに背丈を越える草の嵐を抜けると、水面は私たちのはしゃぎ声とともにきらめき、水の中はひんやりとしていて足の裏がこそばゆい。河原に腰をおろしおにぎりをほおばる。

 石が冷たく光り疲れた体をどこかへ連れていく。


 穴に落ちていく……





 大人になって折々の行事からは遠去かり、矢のような陽光から逃れるように稽古場の扉を開ける。様々な体が視界に入ってくる。あいさつをしながら迎え入れられているのか、迎え入れているのか……。1日の疲れた体を引きずるようにたたずみため込んだ息を人知れず吐き出す姿、しなやかな肢体を気持ち良さそうに可動域一杯にストレッチしている形、黙々と今日の課題を反復している動き、その人たちがどんな今日を生きてここに辿り着いたか、その汗にどういう食事の塩分を蒸発させているのか、幼少期の夏の思い出はどのようなものか、何も知らない。

1.2.3.
せーのー
音楽や言葉とともに呼吸を合わせる。 
メンバーの何かの文に「……群舞はソロより客観的……」というくだりがあった。フムフムそうだ、と思い納得したもののそれ以来、群舞はなぜ客観的なのだろうという考えが時折り頭をよぎる。群舞の稽古は新しい自分に出会える。また新しいメンバーの一面が私に開かれる。大きな露骨な癖はつどつどお互いに注意しあえる。ソロだと、思い込み、独りよがりは修正されないままだ。思いのままに執着のままに踊ると多くの観る人たちが受け入れられなくなる。私はかなり思い込みが激しく、このような文章にも他者の目を意識していなければ通じなくなる。例えて言うなら、小さいお皿を「小人のお皿(お皿自体が小人)」と呼ぶが、そのまま書いたらたちまち何のことかわからなくなってしまう。踊りだと、一生懸命になればなるほど、他者から見ると「なぜお尻をつき出して踊るのか?」という疑問を持たざるを得ない動き方をしているのだ。

群舞稽古において、あちこちに自分が現れる。その自分は他者を通して出現する。他者が私をわからしめてくれる。「こんにちは」新しい自分。それまでの主観は沢山の私と出会うことで、夜郎自大に気付く。世界が広がる。 

新しく世界が広がった者同士、その間の空間を、空気を作品の持つ雰囲気に変えながら作っていく。享受し踊っているだけでなく能動的に意識を共通に持ち、動きができてくる。個々の動きが磨かれつつも協動する。誰かが私の目の代わりになって言葉にして伝えてくれ、私は誰かの目の代わりになって伝えるべき言葉を探す。以前、メンバーのひとりがまごまごしてなかなかうまく動けないでいる私に、

「呼吸をしっかり取って、大きく吸ってみるといいんじゃない?」

と言ってくれたことがあった。その人は客観的に私を見てそう伝えてくれているのだから素直に聞けば良いものを私は素直になれなかった。だって、息きつくてもう吸えない……。そしてちょっとだけ吸ってみる。今なら、呼吸の深いその人と比べて嫉妬している場合じゃない、呼吸の浅い私でも、その方向に努めれば変化すると、以前の私に言ってあげられる。そのメンバーは常にからだに向き合い努力を怠らない。一夜にしてできているわけではない。

あるいは自分だけなら挑戦しない、限界を超えさせてくれることもある。複数回の出番、でかいのに小鳥の役、想定外の連続だ。上背のある私は木の役を想定して筋肉痛でもプルプルしないようにと心の準備をしていたが、なんと小鳥!、ダチョウにならぬように気を付けた。前に小鳥たちを踊った人たちを見ていた事が功を奏し真似できていたようで、観に来てくれた友人たちに珍しく褒められた。 

何度も稽古場で稽古を重ねていくうちに、どのメンバーも私の知らない世界を持ち、自慢することもなく、働きかけてくれていることを知る。メンバーに助けられ横柄な私を我慢してもらい続け、これは副産物としか言いようがないがしきりと感謝の気持ちが芽生え、少しは性格も良くなるらしい。

こぶとり爺さんが無心に踊ると鬼たちが喜び次回の約束の担保にこぶを取っていくように、稽古の過程で次第に個々のこぶが取れ1つの織り物として作品が成っていく。露を含んでいるかのような毛穴が一斉にまばたきをする。軽く湿度を共有しながら全く別の個性が合わさっていく。

暑い稽古場がひとしきり煮えくり返る。私の頭がどこにあるのかわからなくなる。

 一息ついて共に休む。白い風がなでると一肌一肌ひらいていくような解放感がそよめきはじめる。

感じているのは内と外をつなぐ通路・プロムナードのようなところだろうか。

 誰もがひこ星に見え、集うと織り姫に出会える。つむぎ出されていく音と体と場。快感な群舞の誕生。











2018-07-12

・オイリュトミーの現在 Vol.5





ペルセパッサ・オイリュトミー団
アトリエ公演
「オイリュトミーの現在 Vol.5」


2018年 7月 20日(金)
16:00  19:30 2回公演
KFまちかどホール
入場料2,500円(高校生以下2,000円)


予約受付中!


persejapan@gmail.com
080-5877-6887



ブログ右の連絡フォームをお使いいただけます。
・お名前
・メールアドレス
・メッセージ欄に、16:00 or 19:30、枚数
を記入し送信してくださいませ。

折り返しご予約完了メールをお送りいたします。


各回定員30名となります。
定員になり次第締め切りとさせていただきますので、早めのご予約をおすすめいたします。
未就学児の入場はご遠慮くださいませ。


メンバー一同心よりお待ちしております。



2018-06-15

・ペルセ通信 その1 桑原敏郎




「ラ・カンパネラ」   桑原敏郎


 去年からペルセパッサに参加することになりました桑原敏郎です。
定方さん、新保さん、寺崎さん、原さんたちと同じ天使館シューレの第2期生です。

 8月24日の「オイリュトミー現在Vol.6」では、リストのラ・カンパネラを踊ります。
稽古をしている最中に気づいたことや、今感じていることを書いてみたいと思います。

 ラ・カンパネラはリストの超絶技巧の作品で、音階が圧倒的に多く、しかも嬰ト短調(G#/A#/H/C#/D#/E/F#)という#記号の多い調です。さらに経過音としてG##/H#/C##/E#/F##などもたくさん出てきます。それをこの曲はかなり速いテンポで上がったり下がったりします。
 タイトルのcampanella というのは「鐘」という意味で、確かにたくさんの小さなベルがせわしなく鳴り響いている感じがします。
この曲を聴くと、イタリアかどこかの宮廷でピエロが、小さな鈴をたくさん道化服につけて、戯れに滑稽なダンスを踊っている姿が浮かんできます。




 
 この曲を「見える音楽」としてやる場合、見所はやはりその音の過剰さになるかと思います。しかもピエロのイメージがあるので、取りきれない音を必死でとろうとして道化のようにあたふたしている、という感じです。
 そんな演出を漠然と考えていたのですが、いざ音階を覚え始めたときの感覚は、100個近い電話番号をランダムに覚えていかなければならない。そんな気分でした。しかもオイリュトミーでは、#の音階は腕を返して肘から先を曲げてとるので、頭で音列を覚えても実際に腕で音階をとれるようになるには時間がかかります。
 ところが不思議なもので、長い曲を短い部分に分け、繰り返して何回もやっているうちに、「あ、できた!」という瞬間が来ます。「こんなにたくさんの音階をこの速さでできるはずがない」などと思っていたものができるようになる。この瞬間が無上の喜びです。その喜びが次の部分を克服する活力となって、その次の部分もやがて「あ、できた!」となる。
 これを繰り返していくと曲の流れをある程度辿れるようになって、最初は間違えてストップするところが多いのですが、やがてその間違いやすいところも少しずつ克服されていきます。そして音階の方はこの間やっと全曲を覚えることができました。



 

 ところで、今回のような音楽オイリュトミーの作品をやるときは、こうしてまずフォルムや音階を覚えたあと、その動きを何度も反復して練習します。この段階では記憶する力がフル回転で働いています。
 ちなみに西川隆範『シュタイナー用語辞典』を見てみると、「記憶はエーテル体を道具とし、エーテル体は記憶の担い手である」とあります。また「子供の成長力が記憶力に変化する」ともあります。(エーテル体を生命体と呼ぶことがありますが、その方がイメージしやすいかもしれません。)
 練習をしているときには、フォルムや音階の動きを反復することで記憶力をフルに働かせているうちに、このエーテル体が活性化されてくるのではないかと思います。そして子供を成長させるときに働くような生命のエネルギーが目覚めてくる。
 似た感じでいうと、ベートーヴェンのピアノ曲やシンフォニーの高揚感に溢れた盛り上がりの部分を聞いて、「わあ、すごい」と幸福感に浸っているような感じでしょうか。そういう力強い音の響きが体の奥底から轟いてくる感じがします。まあそれが理想ということですが…。
 
 ラ・カンパネラのような音数の多いむずかしい曲をやるときは、最初はなかなかうまくいかなくて、「これだけの音階を覚えることに何か意味があるのか」とか、いろいろネガティブなことを考えてしまいます。ですから、私の場合、練習を始めるまでがひと苦労で、重い腰を上げるまでは逃避の連続です。
 ところがいったん練習を始めて繰り返し同じことを練習しているうちにだんだん夢中になっていきます。やがて自分の中の記憶力がフル回転してくると、知らないうちに興奮状態になってきます。そして気がつくと勢いよく音階をとっていたり、フォルムを動いたりしていて、「始める前は結構疲れていたのに」などと思うことがあります。少し生命力が湧いてきたような感じです。
 記憶力を総動員してとにかく繰り返し動作を反復する。オイリュトミーはうまくできているなと思いました。これこそ生命力を起動する確実な方法だからです。
 しかし音階とフォルムを覚えたと言っても、まだこれからそれを一つの音楽的な流れとしてまとめていかなければなりません。さらにそれを「踊り」として見てもらえるようなものにしなければなりません。その作業がすべて終わったとしても、全曲を間違えずに通せる確率を上げて100%まで持っていかなければなりません。
 
 考えていたら気が遠くなってきました。
8月の本番に間に合うことを祈るばかりです。
これから少しずつでも克服していけたらと思います。まだ先は長そうです。





                                        ~ 次回のペルセ通信は7月。原仁美が担当します。




2018-05-26

・アトリエ公演 「オイリュトミーの現在 Vol.5」開催決定




「轟!Go Roll Over Beethoven」の東京・仙台公演以来の、ペルセパッサ・オイリュトミー団の公演が決まりました。


ペルセパッサ・オイリュトミー団アトリエ公演 「オイリュトミーの現在 Vol.5」



どうして突然Vol.5かと申しますと、
ペルセパッサ発足当時の2004年から4回のアトリエ公演がありました。
そこから長らく機会を得られなかったこのアトリエ公演という形を復活させ、今後定期的に続けていくことにしたからです。

私たちの活動をもっと身近に、もっと多くの機会に、より沢山の方に見ていただきたいと感じております。

4回目から引き継いでの、
ペルセパッサ・オイリュトミー団アトリエ公演「オイリュトミーの現在 Vol.5」開催です。



2018年 7月20日(金)
国立KFまちかどホール
16:00 19:30 2回公演
前売り2500円 当日3000円

予約・問い合わせ




出演者やプログラムの詳細は、facebookやtwitter、当ブログ、チラシでお知らせしていきます。

アトリエという感じの小さな会場での公演です。
会場は小さいながらも内容は濃く、オイリュトミーの内的空間は大きいです。
ソロや少人数による作品主体になりますが、間近で見るオイリュトミーのよさもあるかと思います。

ぜひお越しくださいませ!




会場への行き方です。


KFまちかどホール   
東京都国立市富士見台1-7-1富士見台第一団地101
machi.info@gmail.com / TEL:042-573-1141




<徒歩>
JR南武線谷保駅北口より5分
JR中央線国立駅南口より20分

 <バス>
JR中央線国立駅南口より
・京王バス(3番乗り場) 「第一団地」下車すぐ
・立川バス(4番乗り場) 「富士見台第一団地」下車すぐ

 <自家用車>
中央自動車道「国立・府中IC」より甲州街道経由10分
近くに有料駐車場あり(富士見台有料駐車場)


お待ちしております!




・ペルセパッサ 公演の記録






2004年8月28 日
「第一回アトリエ公演」
くにたち北市民プラザ




2004年10月31日
 「第二回アトリエ公演」
くにたち北市民プラザ




2004年12月1日~5日
「第三回アトリエ公演・ 告げ口心臓」
天使館




2005年3月6日
「第四回アトリエ公演」
くにたち北市民プラザ




2005年7月7日
「鱗粉神話」
セシオン杉並




2006年3月10日
「疑ふ人は来てみよ」
くにたち市民小劇場ホール




2006年7月11日
「宿神」
国分寺市立いずみホール




2007年1月19・20日
「Elysium」
国分寺市立いずみホール




2007年7月4日
「今、星のカラダが」
仙台市青年文化センター・シアターホール




2007年12月22日
「乙剣伝説」
新潟市音楽文化会館ホール




2008年10月1月
「ヒンメル」
国分寺市立いずみホール



2010年1月28・29日
「LOGOPOLIS」
国分寺市立いずみホール




2010年12月1日
「超自己愛」
国分寺市立いずみホール




2011年4月7日
「春曼荼羅」
国分寺市立いずみホール




2016年12月19・20日
「雪月花」
天使館




2017年1月22・23日
「響身」
天使館




2017年10月25日
「轟! Roll Over Beethoven!」
国分寺市立いずみホール




2017年12月8日
「轟! Roll Over Beethoven!」
エル・パーク仙台 スタジオホール





2018年7月20日
アトリエ公演
「オイリュトミーの現在 Vol.5」
KFまちかどホール





2018年8月24日
アトリエ公演
「オイリュトミーの現在 Vol.6」
KFまちかどホール




2018年10月20・21日
アトリエ公演
「オイリュトミーの現在 Vol.7」
天使館



2019年7月27・28日
アトリエ公演
「オイリュトミーの現在 Vol.8」
天使館




2019年 10月27日
アトリエ公演
「オイリュトミーの現在 Vol.9」
天使館

・ペルセパッサ・オイリュトミー団の成り立ち




ペルセパッサ・オイリュトミー団は、
オイリュトミーシューレ天使館の第二期生と第三期生を中心に、舞台活動を続けているグループである。

オイリュトミーシューレ天使館とは、笠井叡が主宰する四年制のオイリュトミー学校である。
1991年より1995年が第一期。
1998年から2002年が第二期。
2002年から2006年が第三期。




四年間の基礎課程を修了した第二期のメンバーは、
舞台活動をしながらオイリュトミーの学びを深める「フォルトコース」に進み、
シューレの講師である笠井禮示、谷合ひろみも共に活動するようになる。

2年間のフォルトコースを終えたメンバーと笠井叡のオリエンテーションの際、師は提案してくれた。
「集まって稽古をする時間を続けてみよう。」

しばらくするとグループの名前が付けられた。


ペルセパッサとは、ギリシャ神話の女神ペルセポネの古い呼び名である。
母デメテルと平和に暮らしていたペルセポネは、冥界の王ハーデスに見初められ、攫われてしまった。
そして妃としてハーデスの心臓の中に幽閉された。。


「閉じ込められた心臓の内側から、自分の力で突き破って外に出てこい」という思いが込められている。






ここからペルセパッサの歴史が始まる。

時は2004年春。

結成一年目は「オイリュトミーの現在」と名付けたアトリエ公演を連続的に行い、
2005年7月に「鱗粉神話」で最初の劇場公演を行った。
その後、愛知芸術センター・プロデュース / 笠井叡振付によるダンス・オペラ「UZME」にオイリュトミーシューレ三期生と共に出演する。

シューレを卒業した三期生は、二年間のフォルトコースも修了。
2010年「超自己愛」からペルセパッサに加わり、現在のメンバーで活動を続けている。




浅見裕子
笠井禮示
鯨井謙太郒
桑原敏郎
小松宏佳
定方まこと
塩月伊作
新保圭子
寺﨑礁
野口泉
原仁美