2019-11-22



ペルセパッサ・オイリュトミー団へ


ギリシャ神話の植物的生命の神である
デーメーテルの娘ペルセポーネが
冥府の王ハーデスに黄泉の国に連れ去られて以降
限りない生命の高揚と死は
完全に表裏一体の関係となった。
バタイユ風に言うならば
死を超えてなお
高揚し続けるエロティシズムの
限りない振り子運動が
人間のカラダの中の生命のリズムとなった。
このペルセポーネの古名である
「ペルセパッサ」
の名を冠するこのオイリュトミー団は
この生死の振り子運動を
これからも限りなく
この日本の土壌に響かせ続けるだろう。


笠井叡




☆ペルセパッサ・オイリュトミー団 京都公演決定!




ペルセパッサの夏の催しへ向けてエンジンがかかるところ、来年の1月に京都での公演が決まりました。

一昨年、東京と仙台でやりました「轟!ロールオーバーベートヴェン!」を再編しパワーアップしてお届します。



2020年1月18日(土)

京都府立文化芸術会館

15:30開場 16:00開演

前売り3000円
当日券3500円












予約受付開始です。
・お名前
・枚数
を電話かメールでお申し込みください。ブログ右下の連絡フォームもお使いいただけます。

お待ちしております!

ペルセパッサオイリュトミー団 tel : 08058776887  mail : persejapan@gmail.com








2019-09-24

・アトリエ公演 「オイリュトミーの現在 Vol.9」 開催決定!




ペルセパッサの次の公演が決まりました。
アトリエ公演シリーズの第9回目です。






「オイリュトミーの現在 Vol.9」

10月27日(日)15:00 & 19:00 

会場:天使館

料金:2500円




今回は、浅見裕子、笠井禮示、鯨井謙太郒、定方まこと、塩月伊作、寺﨑礁、原仁美の作品をご覧いただきます。

間近で生のオイリュトミーを感じられる場です。
ペルセパッサ・オイリュトミー団での活動はこの後は来年の京都公演に向かってゆくので、2019最後のパフォーマンスになるかと思います。
今回はソロ及びデュオによる公演です。
メンバーそれぞれ稽古に励んでいきますので、ぜひお越しくださいませ。


予約受付開始です。
・お名前
・ご希望の会(昼か夜)
・枚数
を電話かメールでお申し込みください。ブログ右下の連絡フォームもお使いいただけます。

各回定員30名です。
お待ちしております!

ペルセパッサオイリュトミー団 tel : 08058776887  mail : persejapan@gmail.com






2019-07-19

・ペルセ通信 その6 寺﨑礁




「呼吸」というのはオイリュトミーにおいてとても大切な要素だと思う。


1年前にコトバのオイリュトミーで「海の市民」という作品を作った。
ソロでのオイリュトミーを作るときには、あらかじめ一人でおおまかな動き・フォルムを作る。
そして朗唱する人や演奏家と合わせて練習する。
「海の市民」の朗唱はペルセの定方にやってもらった。

初めて一緒に稽古をした日のこと。
俺は作ってきたフォルムで母音や子音を動いてゆくのだが、定方が声を入れてくるタイミングが何ともウマイのだ。
動きの始まりやフォルムの切り替わるところを上手にとらえてくれるので動きやすい。
今日が初回なのに、だ。

テラ「動きやすいわ、よくタイミングがわかるね。」
サダ「呼吸を感じられれば、分かるよ。」

動きの衝動を、呼吸で読んでいるわけだ。
初めて読むテキストだから紙も見る。こちらの動きばかりは見られないだろうに。
いや、見なくても呼吸は感じられるのか?
母音(A E I O U等)の動きは胸の奥から外へ流れるから、俺は動く前に息を吸って体の奥の力を感じ、吐く息で力と動きを外へ出す。子音でも打音(K B D N T等)であればまず浮力を取るので息を吸う。
朗唱の定方は、そういう呼吸を見ているのだ。きっと一緒に同じような呼吸をしているのだろう。
俺が吸うときには共に吸い、吐いて動くのに合わせて声を吐くということを自然としているのだろう。
長年オイリュトミーをやってきた者がする朗唱だし、長い付き合いがあるから感じ取れることなのかもしれないが。

これはオイリュトミーをやっている者にとっては当たり前のことなのか?

いやいや案外、呼吸をするということは簡単なことではないようにも思う。


精神状態が呼吸に現れるという。
確かに緊張したり、慌てたりすると息を吸う力がメインになっている。
落ち込んで気を落としている時には吐く息が優位になっている状態で体もブルーだ。
ならば、逆に、呼吸を整えることによって体や気持ちにアプローチすることも可能なのではないだろうか。
ヨガやアーユルヴェーダでは呼吸法をセラピーにも用いる。
吸う息というのは交感神経にはたらきかけるし、吐く息は副交感神経にはたらきかける。そんな働きを治療に用いる。
これが日常のなかで自然に行われているのがあくびだ。
たっぷり吸って酸素を取り入れ元気を起こし、内側のいらない気を吐き出す。
勝手にあくびをしてくれるカラダってすごい。
出そうなあくびは押し殺したりしないで思い切りやればいい。本当に。

「反感・共感」も呼吸というかたちであらわれる。
嫌いな人がいたり、嫌な場所で、その気を自分の内に入れたくなければ息をあまり吸わなくなるし、自分の内側をそこへ出したくなければ息を吐かなくなる。
体の中と外を直接に結び付けるのも呼吸の力。
ジッと息を詰めていなくてはならないような場所からは早々に退散した方がいい。病気になる。


作品作りをしていて思うのだけど、呼吸って、人に言われてやるのが案外難しいことなのかもしれない。

群舞を作るときには大勢が一つになって力を出す。
ユニゾンの場合は特に動きを合わせる必要がある。
このときに大きく作用するのも呼吸の力だ。
「呼吸を合わせて」という言い方はいろんな場面でよく聞くけど、これがなかなか難しい。
例えばオイリュトミーの動きで、高い音を響かせるときには息を吸う。吸う息と浮力だ。
低い音を響かせるなら深く息を吐く。吐く息と重力だ。
ユニゾンで「決め」の和音を鳴らすなら、タップリ息を吸い、吐きながら和音の力を外へ流す。
このタップリ吸う息をみんなで合わせる。
これが頭では分かっちゃいるけど言われるとできない。
それって、言われるのが嫌だからなんじゃないのかなとも思う。
言われたということに反感が生じてしまうから吸えないというのが半分ないか?。
なんて言われたら尚更気持ちが引いてしまい吸えない。
言い方には気を付けるけど。

吸った気分になるんじゃなくてホントに吸う。
「呼吸を合わせる」というのは「実際に」一緒の呼吸をすることなんだ。

呼吸が浅い人と深い人というのはあると思う。
呼吸の深い人が浅い人に合わせるのは雑作ないが、浅い人は深い人に合わせることはできないそうだ。そりゃそうだろう。
落ち着きがない人や気が上がっている人の近くにいるとホントに息が浅く短いのを感じる。
安定した深い呼吸を身につけたいものだ。

作品を客観的に作ろうという場面でも、呼吸は気持ちに作用を受けてしまうもの。
だから楽しく作品創りをしていたい。
オイリュトミーや作品創りに限らず、生活全般におけるコミュニケーションも呼吸だと思う。
楽しくばかりもできないし、いざというときには難しいものだから、日常の中で呼吸の訓練をしておくのがいいと思う。


ひとつ簡単にできる訓練方法を。

ただ歩くだけ。
呼吸をしながら歩くだけ。
歩数を数えながら歩く。
その歩行に息を合わせる。
8歩吸う。12345678と吸いながら8歩進む。
8歩吐く。12345678と吐きながら8歩進む。
これを続ける。
何回か続けるとけっこう苦しくなってしまうものだ。
そしたら6歩に変える。
123456と吸って進む。
123456と吐いて進む。
これでもしばらく行くと苦しくなってしまうもの。
そしたら4歩に変えてみる。
いくら行っても苦しくならなくなったら6歩に戻す。
しばらく行っても大丈夫になっている。
そしたら8歩に戻す。
まだ苦しくなるようなら6歩、4歩とやり直す。

こんな歩行を繰り返しているだけで自然と安定した呼吸力がついてくる。
また明日やってみると、やっぱり最初は8歩が苦しい。そういうものだけど、6歩4歩と下げ、6歩8歩と上げるやり方を繰り返しているうちに呼吸が深く安定してゆく。
俺はこれをマラソンでやっていた。

ヨガでは下半身を流れる気のことをアパーナという。頭部の力をウダーナという。
現代人はこのアパーナがぐずぐずでウダーナがやたら活躍しているそうだ。アタマデッカチで腰肚が弱い。
アタマはそんなにいらないでしょ。
上がった気を下にさげましょう。
ハードな訓練をする必要はなくてただ歩くことが効果大。
力まずに、一歩一歩、体の力を大地に流して歩く。
その時、かかとの内側・内踝の下で大地を踏むこと。
そして、足の指の関節を全て伸ばしておくということは超大切。
歩数に息を合わせる呼吸法で30分歩くだけ。1日2セット。
続けていれば呼吸の力も下半身の力も安定していくと思う。


オイリュトミーは難しいけど、観念や雰囲気を超えて、ホントに体を使って実現したい。
オイリュトミーはすごい「踊り」だと思うから。


寺﨑礁のペルセ通信。
おしまい。









2019-06-22

・アトリエ公演 オイリュトミーの現在 Vol.8 開催決定!



5月の国立劇場へ向けてマーラーの練習に明け暮れていたため、アトリエ公演をしばらくお休みしていましたが、久しぶりに開催が決まりました。


7月27日(土)19:00
7月28日(日)15:00 & 18:00 
会場:天使館
料金:2500円




今回は、浅見裕子、小松宏佳、定方まこと、新保圭子、寺﨑礁の作品をご覧いただきます。


予約受付開始です。
・お名前
・ご希望日時
・枚数を電話かメールでお申し込みください。ブログ右下の連絡フォームもお使いいただけます。

ペルセパッサオイリュトミー団 tel : 08058776887  mail : persejapan@gmail.com


google map「天使館」で出ます


定員30名ですので早めのご予約をお勧めします。

よろしくお願いいたします!
















2019-06-13

オイリュトミー夏季特別講座開催のお知らせ



この夏、ペルセパッサ・オイリュトミー団企画によるオイリュトミー特別講座を開催します!
本講座では毎回ペルセ・メンバーが二人ずつオイリュトミー講座を行ないます。
担当メンバーはそれぞれ「今自分が伝えていきたいオイリュトミー」を基盤に自由にテーマを設定し、講座を展開していきます。
オイリュトミーを多角的に、また様々な方向から理解し体験していくことの出来る講座です。
皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。



日時:2019年8月11日(日)、18日(日)、25日(日)の3日間
時間:各日14時~17時15分(途中休憩あり)


担当講師/テーマ:
8月11日(日)
塩月伊作「心の中心」
鯨井謙太郒「根っこのオイリュトミー」

8月18日(日)
小松宏佳「四大霊との関わり」
笠井禮示「教育オイリュトミー基礎講座」

8月25日(日)
野口泉「オイリュトミー・テクニック」
寺崎礁「terra’sブート・キャンプ」


参加費:
1日4,000円/3日間通し10,000円(学生1日 2,000円/3日間通し 5,000円)

場所:
天使館(国分寺市西元町3‐27‐9)


お申込み:
メール/ persejapan@gmail.com
電話 / 080-5877-6887






2019-03-14

・「神々の残照」国立劇場特別企画公演



来る5月25日、国立劇場の特別企画公演「神々の残照-伝統と創造のあわいに舞う-」
にペルセッパ・オイリュトミー団が出演します。


国立劇場とアーツカウンシル東京は、ジャンル等の垣根を越えて広く舞踊(ダンス)の魅力にふれていただく、〈言葉~ひびく~身体〉を2019年よりスタートさせます。時に相和し、時に拮抗し、いにしえより影響を与え合いながら歩んできた「言葉と身体」をコンセプトに、現代に息づく語りや歌、そして舞踊(ダンス)が織り成す世界をご堪能いただきます。
 第1回目となる「神々の残照」では、「神」をキーワードに、日本舞踊、インド舞踊、トルコ舞踊、コンテンポラリーダンス(新作)を上演します。





日本からは、構成・振付・演出=笠井叡の新作です。

マーラー作曲〈交響曲第五番〉と群読による古事記祝典舞踊
「いのちの海の声が聴こえる 」(新作初演)
テキスト=古事記~大八島国の生成と冥界降り~

[ダンス]
近藤良平・酒井はな・黒田育世・笠井叡/ 浅見裕子・上村なおか・笠井瑞丈/ 岡本優・小暮香帆・四戸由香・水越朋
[群舞]ペルセパッサ・オイリュトミー団
[群読]天使館朗唱団

国立劇場(大劇場)
2019年5月25日(土)
午後2時30分開演(午後5時15分終演予定)



ペルセパッサはマーラーの交響曲第五番による群舞をします。
荘厳壮大なシンフォニーです。



チケットはかなり少なくなっているようですのでお早目にお買い求めくださいませ。


問い合わせ:
国立劇場チケットセンター(午前10時~午後6時)
0570-07-9900
03-3230-3000[一部IP電話等]

インターネット購入
パソコンから http://ticket.ntj.jac.go.jp/
スマートフォンから http://ticket.ntj.jac.go.jp/m





乞うご期待。




2018-11-27

・アトリエ公演延期のお知らせ



来年1月に予定していたペルセパッサ・オイリュトミー団のアトリエ公演ですが、事情により延期となりました。

予定してくださった皆様にはご迷惑をおかけします。


今後の活動にどうぞご期待くださいませ。

よろしくお願い申し上げます。









2018-10-26

・ペルセ通信 その5 小松宏佳




月のふくらむ神無月
昼の月も見ていた
「オイリュトミーの現在 7」の天使館での公演が終わり
クラシック好きの友人Y氏より感想が届いた





今回のプログラムはクラシックはもとより、古文、短歌、童謡など
バラエティー豊かで十二分に楽しめました。
「枕草子をちょこっとコミカルに」と聞いていましたが、純白衣装とヴェールは
意表を突かれました。花嫁さんみたいでした。
ほかの演目では「月の砂漠」が朗唱とピアノ伴奏もあって、自分の好きな童謡だったので、より感銘を受けました。
帰り道ずっと頭の中で鳴っていました。
「パッサカリア」、デユオは初めて見たような気がします。
くるりと一回転するのがおもしろい。
ヘンデルといえば「王宮の花火」や「水上の音楽」が有名で、
やたら明るい曲ばかりと思っていたけれど、
「パッサカリア」はとてもしっとりと優雅でした。
今朝、早速アマゾンで検索して第2集の5 ~ 8番のCDを買いました。
ピアニストの上田早智子さんの演奏が素敵でした。ホント素敵でした。
今回初めて気づきましたが、各々の衣装とシューズの色を合わせているのですね。
既製のシューズで色のヴァリエーションが何色もあると思えないので、
特別に染めているのでしょうか、衣装も染めていますか。





初日のわたしは、集合時間には行ったものの
衣装やシューズをわすれて取りに帰るわ
朗唱のリハーサルもぶっ飛んだが
この日
本番の空間は、清しさに満ちていた
柔らかな透明
観客と演者の呼応がうむ空間のつぶ
通り雨のあとの葉の吐息
つぎの日も昼と夜、合わせての3回公演だったが
同じ照明にもかかわらず色の変化を見てしまう
全が死に個が生まれ個が死に全が生まれる、その往来のうちに
自分がなにものであるか
人間であることもわすれる瞬間がある       


                           2018/10/24  小松宏佳







2018-10-24

・ありがとうございました




ペルセパッサ・オイリュトミー団アトリエ公演Vol.6にご来場いただきありがとうございました。

いつもみなさまに支えられていることを心より感謝いたします。

ご意見、ご感想がおありでしたらブログ右下の問い合わせフォームよりお寄せ頂ければ幸いです。



ペルセパッサでの公演活動は今年はこれでおしまいになりそうです。



次回アトリエ公演は年を明けての1月19日(土)20日(日)を予定しております。
会場は天使館です。



これからも精進してまいります。








・オイリュトミーシューレ天使館第6期生募集要項



1991年に開校した日本で最初の4年制のオイリュトミー学校、オイリュトミーシューレ天使館は 2019年秋に第6期が開校します!
ペルセパッサ・オイリュトミー団もここで学びました。
第6期生の募集が始まりました!


開校は2019年9月です。



オイリュトミーシューレ天使館 第六期生募集要項 
代表:笠井叡

今、出来ることは、文化・芸術・教育・ 政治・治療等のすべてを、新たに創造するための、新地平に立つこと。
カラダが変れば、世界が変る。
オイリュトミーシューレ天使館はそのためのあらゆる身体技術・身体作法・情報を、日々新たな鉱脈を掘り続けている講師によって、おしみなく提供いたします。



・就学期間:2019年9月から2023年7月(4年間)
・授業日:月曜日から金曜日までの週5日
 時間:18:30~21:30 (水曜は22時まで)
 春・秋・冬休み(各2週間)、夏休み(5週間)
・学費:50万円/年(分割可・ご相談下さい)
・入学金:10万円(入学決定時に納入)
・学校所在地: 東京都国分寺市西元町3-27-9
・電話・ファックス:042-307-9758



授業内容 :

【言語オイリュトミー】
言葉の響きと身体の結びつきを学びます。

【音楽オイリュトミー】
音楽と身体の結びつきを学びます。

【発声法】
呼気・吸気と身体の結びつきを学びます。

【言語形成】
日本語とドイツ語による言語形成。

【日本語文法】
現代日本語・古文を構成している文法 の基礎と身体の結びつきを学びます。

【音楽理論】
楽譜の読み方の基本から和音の解析までを学びます。

【床バレエ】
パリ・オペラ座のバレエ団で実践された踊るための基礎 をつくる、床に仰向けになっておこなうトレーニング。

【ルドルフ・シュタイナーの著作の読書会】
座学形式で進めていく授業です。

【ペルセパッサ・オイリュトミー団メンバーによる特別授業】
【ゲスト講師を招いての特別授業】
*これまでお招きしたゲスト講師:
高橋巖氏  ミヒャエル・レーバー氏 ウタ・ディートリクセン氏
マリア・ピア・ドラッツィ氏  サマンタ・マレンツィ氏
今期もさまざまな分野で活動されているゲスト講師を 国内・海外より迎えて特別授業を開催する予定です。



お申し込み:

履歴書一通・なぜ入学を希望するかに関する文章一通を添えて、メールあるいは郵送でお申し込み下さい。
メールアドレス:dance@akirakasai.com
郵便: 185-0023 東京都国分寺市西元町3-27-9 天使館
後日、天使館においての面接日をお知らせいたします。
*申込期間2018年9月1日から2019年7月31日まで。
問合せ: メールアドレス:dance@akirakasai.com
電話・ファックス:042-307-9758 (天使館)




オイリュトミーシューレ天使館

オイリュトミーシューレ天使館は、1991年にオイリュトミスト・ダンサー・振付家の笠井叡によって設立された4年制のオイリュトミー学校です。
これまで多くの修業生がここでオイリュトミーを学び、卒業後にオイリュトミーの舞台活動はじめ、ダンスの舞台、ワークショップ活動、教育現場で活躍しています。
オイリュトミーシューレ天使館では、オイリュトミーの身体技法の全てのエッセンスと現代の時代に求められる身体論的知識と技術、舞台活動を展開していくための基礎的な知識を、4年間の就学期間を通して総合的に学んでいきます。
所在地は歴史と文化の香り溢れる街・東京都国分寺市です。近くには全国の名水百選に指定されている「お鷹の道・清流遊歩道」があり、都名湧水の「真姿の池」、「東京都立多摩図書館」などがあります。


講師プロフィール

笠井叡 
1943年三重県生まれ。
60年代に土方巽、大野一雄等と親交を深め、数多くのソロ舞踏公演を行う。
71年に天使館を設立し、数多くの舞踏家を育成する。
79年から85年までドイツに留学。ルドルフ・シュタイナーの人智学とオイリュトミーを研究。帰国後、日本各地でオイリュトミー・ワークショップを行い、91年にオイリュトミーシューレ天使館を開校。またダンス公演も精力的に行い、これまでに大野一雄、大野義人、木佐貫邦子、伊藤キム、荻野目慶子、高橋悠治等と共演。またファルフ・ルジマートフ、白河直子、黒田育世をはじめ、多くのダンサーに振付を行い、ヨーロッパ各国、アメリカでも作品制作を行う。 
著書に『天使論』『神々の黄昏』『聖霊舞踏』(現代思潮社)『カラダという書物』『カラダと生命』(書肆山田)『金鱗の鰓を取り置く術」(現代思潮新社)、写真集に『銀河革命』(現代思潮新社)、『透明迷宮』(細江英公共書・平凡社)等がある。 2013年に芸術選奨文部科学大臣賞(舞踊部門)を受賞。(公式HP:www.akirakasai.com) 


笠井禮示 
1973年東京生まれ。
小学校の6年間をドイツのシュタイナー学校に通いオイリュトミーと出会う。
ドイツ・シュトゥットガルト・オイリュトメウム卒業。
1997年よりオイリュトミー公演活動およびオイリュトミーシューレ天使館の講師を務める。これまで日本国内を中心に、イタリア、ドイツ、スイス等で作品を発表。2004年にペルセパッサ・オイリュトミー団の設立に参加。またAKIRA KASAI DANCE COMPANYのダンサーとして国内外の数多くのダンス公演に出演してきた。2016年より神奈川県の藤野シュタイナー学校高等部のオイリュトミー講師も務めている。 
(公式ブログ/笠井禮示オイリュトミー:http://reiji-eurythmie.blog.so-net.ne.jp/


ペルセパッサ・オイリュトミー団 
オイリュトミーシューレ天使館を修了した卒業生を中心に2004年に結成。
日本各地で精力的にオイリュトミー公演活動を展開している。
ペルセパッサとは、ギリシア神話の女神ペルセポネの古い呼び名。母デメテルと平和に暮らしていたペルセポネは冥府の王ハーデスに見初められ、攫われてしまい、そして妃としてハーデスの心臓の中に幽閉された。アンサンブル名は「閉じ込められた心臓の内側から、自分の力で突き破って外に出て来い」という思いから笠井叡によって命名。現在のメンバーは、浅見裕子、鯨井謙太郒、塩月伊作、小松宏佳、定方まこと、新保圭子、野口泉、原仁美、桑原敏郎、寺崎礁、笠井禮示。 
(公式ブログ:https://persejapan.blogspot.jp)



天使館への行き方:





2018-09-30

・オイリュトミーの現在 Vol.7



7月、8月に続いてのアトリエ公演
次回は天使館での開催です!


ペルセパッサ・オイリュトミー団
アトリエ公演
「オイリュトミーの現在Vol.7」





2018年 10月
20日(土)19:00
      21日(日)14:00 & 18:00
天使館
入場料2,500円

各回定員30名
予約受付中!


080-5877-6887



ブログ右の連絡フォームをお使いいただけます。
・お名前
・メールアドレス
・メッセージ欄に、日時、枚数を記入し送信してくださいませ。

折り返しご予約完了メールをお送りいたします。


各回定員30名となります。
定員になり次第締め切りとさせていただきますので、早めのご予約をおすすめいたします。
未就学児の入場はご遠慮くださいませ。


メンバー一同心よりお待ちしております。






2018-09-14

・ペルセ通信 その4 新保圭子

  


 「作品について」 新保圭子


 こんにちは、新保圭子です。

 まずは7月のアトリエ公演でやった、モーパッサンの「扁舟紀行」についてちょっと反響がありましたので、あれこれ書いてみます。
 この文章は発狂前のモーパッサンが、愛するヨット「ベラミ号」で漂いながら書いた散文の一節らしいです。
ヨットで思い出すのは、実家がある新潟の信濃川の河口には、20年前はたくさんのヨットが停泊していたことです。ヨット乗りの知り合いが、「これ新潟の人たち気づいてないけどすごいことなんだよ。こんな風景はめったに見られない。だけどもうすぐ泊められなくなるんだ。」と残念がっていました。
今でもあのたくさんのヨットの中に、ベラミ号とモーパッサンを見つけることができそうな気がします。







 話を戻してこの作品に出会ったのはシューレ生の頃、たまたま装丁がきれいで手にとった永井荷風の訳詩集「珊瑚集」のなかに見つけました。荷風が生涯何度も手を入れたという「珊瑚集」は、私の大切な本になり、「扁舟紀行」はそれ以来私の生きる糧となりました。
 
「新しき芸術に身を委ねるものは、全力をあげてこの五個の(幽閉せされし感覚の)かんぬきを抜きとらんと試みつつあるなり」

 私はオイリュトミーをやっているけれど、この先にあるものは一体何なんだろう。自分を変容させ続けると、その先に新しい表現があるに違いないという確信。


「官能は、宇宙と不可解との間にたつ唯一の紹介者ならずや」

 身体は宇宙認識の道具である、と私は解釈しました。そのひとつに封印を解いていくというのがあります。それはときに自分の無意識という社会に対して向き合い、自由になることでもあるようです。思い込みというのは社会の掟であったりもするから。そして封印することによって守られていたものが解き放たれたら、そのことを自分が引き受けなければならない。かんぬきを抜きとるというのと重なります。


 そして7月の公演後、いくつかのことばについての示唆をいただいたり、8月にはリルケの「薔薇の内部」の朗唱をさせていただき、新しい課題を持つことができて感謝です。






「この憂いなく開いた薔薇の内海に 映っているのはどの空なのだろう」

 今まではそのことにはあまり興味がなかったのです。でも今回、リルケに少しでも近づいて、少しでもその言葉をわかりたいと思いました。自分なりにですがその世界観の中に入り、すこしその世界を生きることができた気がしました。身体ごと存在ごと、というのが作品づくりの醍醐味かなあと思います。

 身体表現だと、そういうわかってやる部分と、わからないけど表出されるものがあるようです。「宇宙と不可解との間に立つ官能」って、「わかったときの素晴らしさ」と勝手に思っていたけど、そうではないのですね・・・うん、そうではないのです。


 ところで次なる作品を、「古事記」と思って始めました。初めてちゃんと向き合いましたが、日本は今もこの中にいるという直観を持ちました。というかこれ、日本そのものなんじゃないかと思います。そして聖書の黙示録にあたる未来の予言が古事記にはない。でもずっと古事記は更新され続けています。そして未来、どう更新してゆくのか、一人ひとりにゆだねられています。というか神様たちは待っています。だれかが引き受けてくれるのを。

 古事記について、いろいろ思うところ、発見など、いつか機会がありましたら発表したいと思います。なにしろ難航してますんで(大汗)


それではまた!


 

2018-08-25

・ありがとうございました。




24(金)のペルセパッサ・オイリュトミー団アトリエ公演Vol.6

厳しい残暑の中をご来場いただきありがとうございました。

いつもみなさまに支えられていることを心より感謝いたします。



ご意見、ご感想がおありでしたらブログ右下の問い合わせフォームよりお寄せ頂ければ幸いです。



これからも精進してまいります。



ペルセパッサ一同





























2018-08-16

・オイリュトミーの現在 Vol.6




ペルセパッサ・オイリュトミー団
アトリエ公演
「オイリュトミーの現在Vol.6」
開催!






2018年 8月 24日(金)
16:00  19:30 2回公演
KFまちかどホール
入場料2,500円(高校生以下2,000円)


予約受付中!


persejapan@gmail.com
080-5877-6887



ブログ右の連絡フォームをお使いいただけます。
・お名前
・メールアドレス
・メッセージ欄に、16:00 or 19:30、枚数
を記入し送信してくださいませ。

折り返しご予約完了メールをお送りいたします。


各回定員30名となります。
定員になり次第締め切りとさせていただきますので、早めのご予約をおすすめいたします。
未就学児の入場はご遠慮くださいませ。


メンバー一同心よりお待ちしております。






2018-08-10

・ペルセ通信 その3 笠井禮示




「思考力を通して生命は知覚できるのか?」  笠井禮示



難しそうな題名になりましたが、タイトルに反比例して中身は難しくないので一読していただけたら幸いです。

生命は見ることも触ることも出来ません。しかし自分の呼吸や、心拍、熱、ありとあらゆる身体感覚に注意深く意識を向けると、自分が生きているという実感と、生命力に包まれているという予感を持つことが出来ます。
自分が生きているという実感とは、自分を「確かな存在」として感じることですから、今度は自分の周りに生命的な予感と存在に出会いたいという要求が自然と生じます。
逆にもし自分が生きているという実感や、生命力に包まれているという予感を持てなかったら、自分の存在は「不確かなもの」としか思えず、周囲の生命的な予感や存在にも盲目的になってしまうかもしれません。
ウチには二匹の猫がいますが、彼らは年がら年中、お互いにジャレ合ったり、ペロペロと舐め合ったりしています。その様子を見ていると、猫のように生命ある存在は、確かに自分の周囲に生命的なものを求め、その存在と共存していきたいという欲求が本能的に備わっているのだなと感じます。


「人間は一人では生きていけない」という言葉をよく聞きます。
誰の助けも借りず、たった一人の力で生きているように思えるゴルゴ13も、彼に仕事を依頼する依頼人がいなければ、食っていけません。つまりゴルゴ13と言えども、他者という生命存在があるから生きていけるのです。彼は他人の生命を奪うのが仕事なので、なんとも矛盾した話ですが。
たった一人で無人島に流れ着いたロビンソン・クルーソーも、周囲に人間はいませんでしたが、生命溢れた豊かな自然界があり、その恵みを受けて生き延びることが出来ました。
生命あるものが生命を求めるのは、生命のもつ特徴です。






シュタイナーは、人間が自分の内にも、周囲にも、生命的な存在や活動を求め、知覚しようとする力は、思考の持つ大切な力だと述べています。
そのような思考の捉え方は、一見、ピンと来ないかもしれません。「思考型」と言った場合、どこか「冷徹」、「沈着」というようなイメージがあり、生命的な躍動感からは遠いと思ってしまうからです。
しかしシュタイナーは「思考とは単に理解して環境に適応する力ではない」とした上で、幼児期における人間の思考力が、思考力として意識上には現れず、その力を肉体の形成に作用させている、と述べています。肉体の形成がある程度完成すると、人間は、今度はその同じ力を思考する力として意識するようになります。ですから思考力は最初に、「生命の形成力」として人間に備わって現れるのです。そして思考そのものは、生命的な力にあふれています。幼児期においては、その力が肉体の形成に作用します。
では肉体が完成した成人においては、「思考における生命の形成力」は知覚出来るのでしょうしょうか?
例えば、私が「星」について思考を巡らせたとします。この時、星は「思考内容」であって、思考力そのものではありません。しかし星という思考内容を取り巻いて、考える力は思考力と呼べるでしょう。そして、その「作用全体」を引き起こしている力は、生命力なのかもしれません。こうして考えると、思考力と生命力は結びついた力であるような予感が持てます。
もし私たちが「思考内容」を持たずに、思考力そのものを捉えることが出来たら、直接に「生命の形成力」を知覚出来るかもしれません。

例えばオイリュトミーにおいて、音や和音やフォルムを記憶している過程では、頭をフル回転させて、必死に入ってきたものを繋ぎ止めようとしています。この時、「記憶する対象」は頭の中を「出たり入ったり」します。私たちはそれを必死に繋ぎ止めようとしています。この段階では対象は、まだ「完全な思考内容」にはなりきれず、いわば「未来の思考内容」です。なぜなら対象が「出入り」を繰り返している間は、まだそれが自分の中にしっかりと定着しておらず、冷静な思考内容として建設的な思考作業に取り込めないからです。
むしろこの段階の私たちは、思考しているよりも、頭の中に入ってきた対象を必死に繋ぎ止めようと苦労しています。そしてやがて「無我無心」の状態になります。
そこでは時間の流れや、巷の騒音など一切の外界を遮断し、自分の内的な能力の全てを総動員して、「記憶する対象にのみ」向かい合っている状態になります。
この瞬間の身体感覚に細心の注意を向けてみると、「思考における生命の形成力」に直接触れていると同時に、「未だ思考内容に染まっていない純粋な思考力の姿」と出会っていると予感出来ます。
このように「記憶しようとする行為」は思考内容と結びついた思考とは別の、「生命の形成力」に満ちた思考の姿を見せてくれます。この力は、かつては肉体の形成を担っていましたが、今度は「記憶する対象」から「思考内容を形成する力」として、人間の内で作用します。「記憶すること」とは「思考内容を形成する」ことなのです。
シュタイナーは「記憶する行為は生命力を活性化する」と述べましたが、逆に私たちが記憶することを放棄した瞬間から、年齢に関係なく「人間の老化」が始まるとも言います。
ですから一回でも多く、この体験を繰り返していくことが、自分自身を新鮮に保つ最高の方法です。これを繰り返すと「記憶しようとする」ことが、苦労ではなく、生命力に直結した行為であることが、かなり明確な身体感覚を伴って自覚するようになります。記憶出来るかは問題ではありません、記憶しようとする意識が大切です。ただしオイリュトミーを目指す場合は記憶しないと困ります。なぜならオイリュトミーは次の段階から始まりますから。
オイリュトミーでは以上の段階を経て、「思考内容にまで高めた対象」をさまざまなものと結びつけて動きます。意志・感情・思考の人間の三分節と結びつけて動いたり、発声力や呼吸と結びつけたり、作品製作で言えば、「磨きをかける作業」ということです。これは「思考内容」を更に次の段階に引き上げる作業です。






ギタリスト・コンポーザーのスティーヴ・ヴァイの次の言葉は、ある対象を血肉化するまでのプロセスを非常に興味深く語っています。

「曲を覚える時は、さまざまなプロセスを経験します。まずは技術的な部分です。弾くべき内容を記憶しなければなりません。覚えようとする作業を何度も繰り返し続けます。すると、その対象を認識するようになります。そのまま暫く経つと、次は弾き方なんて考えなくてもいい状態に入ります。最初は技術的なものを意識しなければならなかったのに、考えるということが邪魔になるという訳です。
自分が弾いているものを認識するというのは、物事を考えている状態とは全く違います。「考える事」は「認識する事」の妨げになるのです。「考えるべき」ではなく「認識すべき」です。弾いているものを認識するようになると、プレイの本質にどんどん近付きます。そうすると、感情を投入する事が出来るようになります」
(2013年来日時)

この言葉は、「記憶した対象/思考内容」の次なる段階は、それを「認識の対象」にまで上げることだと述べています。さらに表現行為における「感情移入」は、かなりのプロセスを経たのちに取り掛かかれる行為であることが分かります。

シュタイナーは全く同じことを述べています:
「Erst denken. Dann Wahrnehmen(まず思考する。そして認識する。)」
「オイリュトミーは覚えたところから始まる身体運動」ですが、このシュタイナーの言葉は、
前半「Erst denken/まず思考する」は「オイリュトミー以前」、
後半「Dann Wahrnehmen/そして認識する」は「オイリュトミーの始まり」
と言えるかもしれません。

では認識することがオイリュトミーの始まりとはなんでしょう?
私たちは「思考における生命の形成力」を通して「記憶する対象」から「思考内容」を形成します。しかし思考内容が思考内容に留まっている限り、それはオイリュトミーを動く力にはなりません。ある一定期間、「思考内容」に対して思考を深めたのち、それを再び「生命力」と結びつける必要があります。
「思考内容の生命化」は思考内容を思考の領域だけではなく、人間の身体のあらゆる能力、とりわけ「発声力と呼吸」、「聴覚」と結びつけることによって生命化します。「思考内容」はこの時、氷が溶けるように徐々に溶解して、全身にくまなく行き渡り、「生命化した身体感覚」として姿を変えます。その新たな身体感覚を知覚することこそ、オイリュトミーにおける認識行為と呼べそうです。







2018-07-22

☆ありがとうございました!



20(金)のペルセパッサ・オイリュトミー団アトリエ公演Vol.5
倒れそうな暑さの中をご来場いただきありがとうございました。
あたたかいまなざしの中、無事に幕を閉じられたことを心より感謝いたします。

ご感想、ご意見がおありでしたらブログ右下の問い合わせフォームよりお寄せ頂ければ幸いです。

これからも精進してまいります。

ペルセパッサ一同

























2018-07-13

・ペルセ通信 その2 原仁美




「ひこ星群舞」   原仁美 



 笹の葉に短冊を掛けて星に願う。
織り姫とひこ星が出会えたから願いも叶う。子供のとき、そんな気分にほんのり包まれて夜空を見上げる。

 夏休みに祖父母の家に行くと、お仏壇にお盆のお供えがしてあり、ほおずきが挿してある。毎朝、小さな器にご飯とお水をよそい仏様にあげる。お盆祭りの夜、大人たちは酒をのみ子供たちはその上機嫌のおこぼれに授かる。

 茅葺きの屋根に草が生えている。蝉のごった返したような音の反射の中に川のせせらぎが聞こえている。川遊びに背丈を越える草の嵐を抜けると、水面は私たちのはしゃぎ声とともにきらめき、水の中はひんやりとしていて足の裏がこそばゆい。河原に腰をおろしおにぎりをほおばる。

 石が冷たく光り疲れた体をどこかへ連れていく。


 穴に落ちていく……





 大人になって折々の行事からは遠去かり、矢のような陽光から逃れるように稽古場の扉を開ける。様々な体が視界に入ってくる。あいさつをしながら迎え入れられているのか、迎え入れているのか……。1日の疲れた体を引きずるようにたたずみため込んだ息を人知れず吐き出す姿、しなやかな肢体を気持ち良さそうに可動域一杯にストレッチしている形、黙々と今日の課題を反復している動き、その人たちがどんな今日を生きてここに辿り着いたか、その汗にどういう食事の塩分を蒸発させているのか、幼少期の夏の思い出はどのようなものか、何も知らない。

1.2.3.
せーのー
音楽や言葉とともに呼吸を合わせる。 
メンバーの何かの文に「……群舞はソロより客観的……」というくだりがあった。フムフムそうだ、と思い納得したもののそれ以来、群舞はなぜ客観的なのだろうという考えが時折り頭をよぎる。群舞の稽古は新しい自分に出会える。また新しいメンバーの一面が私に開かれる。大きな露骨な癖はつどつどお互いに注意しあえる。ソロだと、思い込み、独りよがりは修正されないままだ。思いのままに執着のままに踊ると多くの観る人たちが受け入れられなくなる。私はかなり思い込みが激しく、このような文章にも他者の目を意識していなければ通じなくなる。例えて言うなら、小さいお皿を「小人のお皿(お皿自体が小人)」と呼ぶが、そのまま書いたらたちまち何のことかわからなくなってしまう。踊りだと、一生懸命になればなるほど、他者から見ると「なぜお尻をつき出して踊るのか?」という疑問を持たざるを得ない動き方をしているのだ。

群舞稽古において、あちこちに自分が現れる。その自分は他者を通して出現する。他者が私をわからしめてくれる。「こんにちは」新しい自分。それまでの主観は沢山の私と出会うことで、夜郎自大に気付く。世界が広がる。 

新しく世界が広がった者同士、その間の空間を、空気を作品の持つ雰囲気に変えながら作っていく。享受し踊っているだけでなく能動的に意識を共通に持ち、動きができてくる。個々の動きが磨かれつつも協動する。誰かが私の目の代わりになって言葉にして伝えてくれ、私は誰かの目の代わりになって伝えるべき言葉を探す。以前、メンバーのひとりがまごまごしてなかなかうまく動けないでいる私に、

「呼吸をしっかり取って、大きく吸ってみるといいんじゃない?」

と言ってくれたことがあった。その人は客観的に私を見てそう伝えてくれているのだから素直に聞けば良いものを私は素直になれなかった。だって、息きつくてもう吸えない……。そしてちょっとだけ吸ってみる。今なら、呼吸の深いその人と比べて嫉妬している場合じゃない、呼吸の浅い私でも、その方向に努めれば変化すると、以前の私に言ってあげられる。そのメンバーは常にからだに向き合い努力を怠らない。一夜にしてできているわけではない。

あるいは自分だけなら挑戦しない、限界を超えさせてくれることもある。複数回の出番、でかいのに小鳥の役、想定外の連続だ。上背のある私は木の役を想定して筋肉痛でもプルプルしないようにと心の準備をしていたが、なんと小鳥!、ダチョウにならぬように気を付けた。前に小鳥たちを踊った人たちを見ていた事が功を奏し真似できていたようで、観に来てくれた友人たちに珍しく褒められた。 

何度も稽古場で稽古を重ねていくうちに、どのメンバーも私の知らない世界を持ち、自慢することもなく、働きかけてくれていることを知る。メンバーに助けられ横柄な私を我慢してもらい続け、これは副産物としか言いようがないがしきりと感謝の気持ちが芽生え、少しは性格も良くなるらしい。

こぶとり爺さんが無心に踊ると鬼たちが喜び次回の約束の担保にこぶを取っていくように、稽古の過程で次第に個々のこぶが取れ1つの織り物として作品が成っていく。露を含んでいるかのような毛穴が一斉にまばたきをする。軽く湿度を共有しながら全く別の個性が合わさっていく。

暑い稽古場がひとしきり煮えくり返る。私の頭がどこにあるのかわからなくなる。

 一息ついて共に休む。白い風がなでると一肌一肌ひらいていくような解放感がそよめきはじめる。

感じているのは内と外をつなぐ通路・プロムナードのようなところだろうか。

 誰もがひこ星に見え、集うと織り姫に出会える。つむぎ出されていく音と体と場。快感な群舞の誕生。











2018-07-12

・オイリュトミーの現在 Vol.5





ペルセパッサ・オイリュトミー団
アトリエ公演
「オイリュトミーの現在 Vol.5」


2018年 7月 20日(金)
16:00  19:30 2回公演
KFまちかどホール
入場料2,500円(高校生以下2,000円)


予約受付中!


persejapan@gmail.com
080-5877-6887



ブログ右の連絡フォームをお使いいただけます。
・お名前
・メールアドレス
・メッセージ欄に、16:00 or 19:30、枚数
を記入し送信してくださいませ。

折り返しご予約完了メールをお送りいたします。


各回定員30名となります。
定員になり次第締め切りとさせていただきますので、早めのご予約をおすすめいたします。
未就学児の入場はご遠慮くださいませ。


メンバー一同心よりお待ちしております。



2018-06-15

・ペルセ通信 その1 桑原敏郎




「ラ・カンパネラ」   桑原敏郎


 去年からペルセパッサに参加することになりました桑原敏郎です。
定方さん、新保さん、寺崎さん、原さんたちと同じ天使館シューレの第2期生です。

 8月24日の「オイリュトミー現在Vol.6」では、リストのラ・カンパネラを踊ります。
稽古をしている最中に気づいたことや、今感じていることを書いてみたいと思います。

 ラ・カンパネラはリストの超絶技巧の作品で、音階が圧倒的に多く、しかも嬰ト短調(G#/A#/H/C#/D#/E/F#)という#記号の多い調です。さらに経過音としてG##/H#/C##/E#/F##などもたくさん出てきます。それをこの曲はかなり速いテンポで上がったり下がったりします。
 タイトルのcampanella というのは「鐘」という意味で、確かにたくさんの小さなベルがせわしなく鳴り響いている感じがします。
この曲を聴くと、イタリアかどこかの宮廷でピエロが、小さな鈴をたくさん道化服につけて、戯れに滑稽なダンスを踊っている姿が浮かんできます。




 
 この曲を「見える音楽」としてやる場合、見所はやはりその音の過剰さになるかと思います。しかもピエロのイメージがあるので、取りきれない音を必死でとろうとして道化のようにあたふたしている、という感じです。
 そんな演出を漠然と考えていたのですが、いざ音階を覚え始めたときの感覚は、100個近い電話番号をランダムに覚えていかなければならない。そんな気分でした。しかもオイリュトミーでは、#の音階は腕を返して肘から先を曲げてとるので、頭で音列を覚えても実際に腕で音階をとれるようになるには時間がかかります。
 ところが不思議なもので、長い曲を短い部分に分け、繰り返して何回もやっているうちに、「あ、できた!」という瞬間が来ます。「こんなにたくさんの音階をこの速さでできるはずがない」などと思っていたものができるようになる。この瞬間が無上の喜びです。その喜びが次の部分を克服する活力となって、その次の部分もやがて「あ、できた!」となる。
 これを繰り返していくと曲の流れをある程度辿れるようになって、最初は間違えてストップするところが多いのですが、やがてその間違いやすいところも少しずつ克服されていきます。そして音階の方はこの間やっと全曲を覚えることができました。



 

 ところで、今回のような音楽オイリュトミーの作品をやるときは、こうしてまずフォルムや音階を覚えたあと、その動きを何度も反復して練習します。この段階では記憶する力がフル回転で働いています。
 ちなみに西川隆範『シュタイナー用語辞典』を見てみると、「記憶はエーテル体を道具とし、エーテル体は記憶の担い手である」とあります。また「子供の成長力が記憶力に変化する」ともあります。(エーテル体を生命体と呼ぶことがありますが、その方がイメージしやすいかもしれません。)
 練習をしているときには、フォルムや音階の動きを反復することで記憶力をフルに働かせているうちに、このエーテル体が活性化されてくるのではないかと思います。そして子供を成長させるときに働くような生命のエネルギーが目覚めてくる。
 似た感じでいうと、ベートーヴェンのピアノ曲やシンフォニーの高揚感に溢れた盛り上がりの部分を聞いて、「わあ、すごい」と幸福感に浸っているような感じでしょうか。そういう力強い音の響きが体の奥底から轟いてくる感じがします。まあそれが理想ということですが…。
 
 ラ・カンパネラのような音数の多いむずかしい曲をやるときは、最初はなかなかうまくいかなくて、「これだけの音階を覚えることに何か意味があるのか」とか、いろいろネガティブなことを考えてしまいます。ですから、私の場合、練習を始めるまでがひと苦労で、重い腰を上げるまでは逃避の連続です。
 ところがいったん練習を始めて繰り返し同じことを練習しているうちにだんだん夢中になっていきます。やがて自分の中の記憶力がフル回転してくると、知らないうちに興奮状態になってきます。そして気がつくと勢いよく音階をとっていたり、フォルムを動いたりしていて、「始める前は結構疲れていたのに」などと思うことがあります。少し生命力が湧いてきたような感じです。
 記憶力を総動員してとにかく繰り返し動作を反復する。オイリュトミーはうまくできているなと思いました。これこそ生命力を起動する確実な方法だからです。
 しかし音階とフォルムを覚えたと言っても、まだこれからそれを一つの音楽的な流れとしてまとめていかなければなりません。さらにそれを「踊り」として見てもらえるようなものにしなければなりません。その作業がすべて終わったとしても、全曲を間違えずに通せる確率を上げて100%まで持っていかなければなりません。
 
 考えていたら気が遠くなってきました。
8月の本番に間に合うことを祈るばかりです。
これから少しずつでも克服していけたらと思います。まだ先は長そうです。





                                        ~ 次回のペルセ通信は7月。原仁美が担当します。