2018-07-13

・ペルセ通信 その2 原仁美




「ひこ星群舞」   原仁美 



 笹の葉に短冊を掛けて星に願う。
織り姫とひこ星が出会えたから願いも叶う。子供のとき、そんな気分にほんのり包まれて夜空を見上げる。

 夏休みに祖父母の家に行くと、お仏壇にお盆のお供えがしてあり、ほおずきが挿してある。毎朝、小さな器にご飯とお水をよそい仏様にあげる。お盆祭りの夜、大人たちは酒をのみ子供たちはその上機嫌のおこぼれに授かる。

 茅葺きの屋根に草が生えている。蝉のごった返したような音の反射の中に川のせせらぎが聞こえている。川遊びに背丈を越える草の嵐を抜けると、水面は私たちのはしゃぎ声とともにきらめき、水の中はひんやりとしていて足の裏がこそばゆい。河原に腰をおろしおにぎりをほおばる。

 石が冷たく光り疲れた体をどこかへ連れていく。


 穴に落ちていく……





 大人になって折々の行事からは遠去かり、矢のような陽光から逃れるように稽古場の扉を開ける。様々な体が視界に入ってくる。あいさつをしながら迎え入れられているのか、迎え入れているのか……。1日の疲れた体を引きずるようにたたずみため込んだ息を人知れず吐き出す姿、しなやかな肢体を気持ち良さそうに可動域一杯にストレッチしている形、黙々と今日の課題を反復している動き、その人たちがどんな今日を生きてここに辿り着いたか、その汗にどういう食事の塩分を蒸発させているのか、幼少期の夏の思い出はどのようなものか、何も知らない。

1.2.3.
せーのー
音楽や言葉とともに呼吸を合わせる。 
メンバーの何かの文に「……群舞はソロより客観的……」というくだりがあった。フムフムそうだ、と思い納得したもののそれ以来、群舞はなぜ客観的なのだろうという考えが時折り頭をよぎる。群舞の稽古は新しい自分に出会える。また新しいメンバーの一面が私に開かれる。大きな露骨な癖はつどつどお互いに注意しあえる。ソロだと、思い込み、独りよがりは修正されないままだ。思いのままに執着のままに踊ると多くの観る人たちが受け入れられなくなる。私はかなり思い込みが激しく、このような文章にも他者の目を意識していなければ通じなくなる。例えて言うなら、小さいお皿を「小人のお皿(お皿自体が小人)」と呼ぶが、そのまま書いたらたちまち何のことかわからなくなってしまう。踊りだと、一生懸命になればなるほど、他者から見ると「なぜお尻をつき出して踊るのか?」という疑問を持たざるを得ない動き方をしているのだ。

群舞稽古において、あちこちに自分が現れる。その自分は他者を通して出現する。他者が私をわからしめてくれる。「こんにちは」新しい自分。それまでの主観は沢山の私と出会うことで、夜郎自大に気付く。世界が広がる。 

新しく世界が広がった者同士、その間の空間を、空気を作品の持つ雰囲気に変えながら作っていく。享受し踊っているだけでなく能動的に意識を共通に持ち、動きができてくる。個々の動きが磨かれつつも協動する。誰かが私の目の代わりになって言葉にして伝えてくれ、私は誰かの目の代わりになって伝えるべき言葉を探す。以前、メンバーのひとりがまごまごしてなかなかうまく動けないでいる私に、

「呼吸をしっかり取って、大きく吸ってみるといいんじゃない?」

と言ってくれたことがあった。その人は客観的に私を見てそう伝えてくれているのだから素直に聞けば良いものを私は素直になれなかった。だって、息きつくてもう吸えない……。そしてちょっとだけ吸ってみる。今なら、呼吸の深いその人と比べて嫉妬している場合じゃない、呼吸の浅い私でも、その方向に努めれば変化すると、以前の私に言ってあげられる。そのメンバーは常にからだに向き合い努力を怠らない。一夜にしてできているわけではない。

あるいは自分だけなら挑戦しない、限界を超えさせてくれることもある。複数回の出番、でかいのに小鳥の役、想定外の連続だ。上背のある私は木の役を想定して筋肉痛でもプルプルしないようにと心の準備をしていたが、なんと小鳥!、ダチョウにならぬように気を付けた。前に小鳥たちを踊った人たちを見ていた事が功を奏し真似できていたようで、観に来てくれた友人たちに珍しく褒められた。 

何度も稽古場で稽古を重ねていくうちに、どのメンバーも私の知らない世界を持ち、自慢することもなく、働きかけてくれていることを知る。メンバーに助けられ横柄な私を我慢してもらい続け、これは副産物としか言いようがないがしきりと感謝の気持ちが芽生え、少しは性格も良くなるらしい。

こぶとり爺さんが無心に踊ると鬼たちが喜び次回の約束の担保にこぶを取っていくように、稽古の過程で次第に個々のこぶが取れ1つの織り物として作品が成っていく。露を含んでいるかのような毛穴が一斉にまばたきをする。軽く湿度を共有しながら全く別の個性が合わさっていく。

暑い稽古場がひとしきり煮えくり返る。私の頭がどこにあるのかわからなくなる。

 一息ついて共に休む。白い風がなでると一肌一肌ひらいていくような解放感がそよめきはじめる。

感じているのは内と外をつなぐ通路・プロムナードのようなところだろうか。

 誰もがひこ星に見え、集うと織り姫に出会える。つむぎ出されていく音と体と場。快感な群舞の誕生。