2019-12-15

・ペルセ通信 その7 定方まこと




京都と私


今から二十数年前のこと。まだ十代だった私は、京都で行われた「笠井叡 薔薇十字講演」という催しに参加していた。
会場の名前は忘れてしまったが、広いエントランスのある、低層の、ややモダンなつくりの建物の印象はよく覚えている。



当時、私はまだ新潟の実家におり、そこから東京・国分寺の講座に週に一回程度、定期的に参加していたと記憶している。
京都で開催される講演のことは何かで知っており、行ってみたいと思ってはいたが、遠方ということもあり諦めていたように思う。それがどういうわけか、講演の当日の朝になり、今行かねば後悔するという何とも言えない衝動に駆られ、京都に行くことを決意した。
決意したはいいが、スマホもパソコンも持ってはいない90年代のこと。時刻表を繙いて新幹線の乗り継ぎを調べてみると、何をどうやっても今からでは開演の時間には間に合わない。 しかし、その時の私は諦めず、自身を駆る衝動に従ってバスで新潟空港に向い、伊丹空港着で講演の開演時間に間に合いそうな便があるのを確認して、その旅客機に、まさに飛び乗った。そして空港から電車を乗り継いで、定刻に会場に到着することができた。
これが私の、人生初めての京都であった。


講演の内容やその場の情景は、どういうわけか全く覚えていない。
質疑などの全ての催しが終わり、帰ろうとしてエレベーターに乗ったとき、講演の参加者であろう二人の女性と一緒になった。今にして思えば、一人で講演を聞きに来る全身黒づくめの十代の若者は、それは気になったことであろう。いくつか質問をいただき、1階でエレベーターを降りてから少しお話しさせていただいた。聞けば、志村ふくみさんのもとで、染織を学ばれている方たちであった。
私が、新たに開校されるオイリュトミー学校に入ろうかどうか、今まさに悩んでいるところだ、という話をすると、「今しかないわよ」「是非入学なさい」と気持ちよく、些末な問題で迷っていた私の背中を押して下さった。
そして、その次の春、私はオイリュトミー・シューレ天使館第二期に入学することになる。


人の縁とは不思議なもの、人生何が起こるかわからない、とは良く使われる言い回しだが、もしあの時わたしが京都に行っていなかったなら、そしてあの二人の女性が、本当に気持ちよく私の背中を押してくれなかったなら、今のオイリュトミスト、舞台人、そして親としての私もひょっとしたら存在していなかったかもしれない、と考えればこんなに不思議なことはない。


そして、時を経た2020年1月。オイリュトミー・シューレ天使館の二期と三期のメンバーを中心としたペルセパッサ・オイリュトミー団の初めての京都公演が、京都の方々のご協力のもとに開催されることは、個人的にも何か感慨深いものがある。


いただいた縁に感謝して、またここから新たなご縁が産まれることを確信しつつ、全身全霊、本番に臨みたいと思う。

2019年12月

定方まこと